経験の大切さを過大評価していたあの日

生き方・働き方

小さな頃、「小説家になりたい」と思っていた時期がありました。

そしてその時は、「経験したことしか書けないから色んな事を経験したい」と思っていたのですが、「これって正しくもあり、正しくなくもあるなー」と今では思っています。

 

”経験したことしか書けない”

「経験したことを書いた方が深みがある」という意味では色々経験をするのは良いと思っています。自分の目や体を通して感じたことってなんだかんだ言ってやっぱり大事だと思うので。

 

でも、「経験したことしか書けない」というのは少し極端かな、と。

 

例えば、私は囲碁部だったので、”囲碁部に在籍した”経験はあります。

でもあくまでそれは、”自分が在籍していた囲碁部”のことであり、他校の囲碁部のことがわかるわけではありません。自分がいたところのルールや雰囲気がわかる、という程度。

また、囲碁部に在籍していたし、囲碁は好きでしたが、プロ棋士ほどの腕前があるわけではありません。プロの気持ちや緊張感はわからないし、まして”神の一手”とかこれっぽっちもわかりません。

 

そして本当に「経験したことしか書けない」のであれば、”魔法もの”なんて全く書けないですよね。

 

でもそれを、「現実に存在するとしたらどうなるか」という重みを与えられるのが想像力であり、小説家の力量なんだと思います。

そしてその重みは、自分の中から生み出されることもあれば、様々な経験や、文献調査、取材を通して生み出されるものだと思います。

 

おわりに

何が言いたかったんだろう、ともやもやしながらここまで書き進めてきましたが、どうやら自分の”インプットの足りなさ”に感じ入るところがあったようです。

私は、想像力の源は、自分の中にある様々な経験や文献調査、取材などのインプットだと思っています。

 

それが最近、弱いなーと。

 

”インプットが足りない”ということは”アウトプットが減る”ということで、その結果、ブログに何を書こうと悩むことが多くありました。

 

レンタルコミックで大量に借りてしまったのが悪かったのかも…。面白くてついつい止まらなくて…

”面白かった漫画のこと”とかなら書けるかもしれませんが(インプットしたから)、そんなことばかり書いているとこのブログの趣旨ともずれてしまうし…。やはり自分で決めた”研究”の分野について、習慣づけて日々学ぶ必要性を感じました。

 

まずはレンタルコミック自制しますー(なるべく)

 

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