各駅停車の電車でのんびり移動するくらいが自分らしいペースだと気付いた

生き方・働き方

地方に住んでいると、電車やバスといった公共交通機関を利用する機会が減り、車を利用する機会が多くなります。実際に私も、東京で暮らしていた時は毎日のように乗っていた電車に、青森に来てからというものほとんど乗らなくなりました。

 

そんな電車について、東京に来てすぐの頃、思っていたことをふと思い出したので、お伝えしようと思います。

 

満員電車で感じた忙しさ

地方は公共交通機関の本数が都会と比べるとどうしても少ないです。
電車やバスは1時間に1本が当たり前。もしかしたらそれ以下ということも。

 

それだけ本数が少ない上に、天候や渋滞の影響を受けて遅延することもしばしば。バスは時間通りになかなか来なかったり…。だから、目的地に間に合うように自然と早く向かいます。

 

そんな経験をしていたので、初めて東京へ行った時、路線の多さと、数分に1回やってくる電車に本当に驚きました。人が多いということはそれだけ便利さを享受できるってことなんだな、と。

 

ただ、それと同時に驚いたのは、みんなどこか”急いでいる”という風に感じたことです。

どういう時にそれを感じたかというと、例えば、”快速”はものすごく混んでいるけど”各駅停車”の電車は座れる状態、とか、数分遅れてやってきた電車に人が殺到し、数分後に来るその次の電車は割と余裕がある、という様子を目の当たりにした時です。

 

私はその時のほほんと、こんなことを思っていました。

 

「こんなにすぐに次の電車が来るし、5分くらいしか変わらないのに、どうしてみんな混んでいる方に乗るんだろう?」

 

満員電車がとにかく嫌いだった私は、混雑を避けられるのならと、電車を一本見逃したり、”各駅停車”でのんびり向かうこともしばしば。なんだかみんながせかせかしているように見えていたのだと思います。

 

こんなことを言っていても、東京暮らしがしばらくたったら、なるべく長く電車にいたくなくて、ちょっと位混んでいても”快速”を選んだりしていましたが。地下鉄のような閉鎖空間に長くいるのが耐えられなくて…。

 

無自覚なマイペースさ

「なんでこんなことを思ったんだろう?」と自問自答してみたところ、もしかしたら私は人よりも”マイペースな人間”なのかもしれない、ということに思い当たりました。

 

団体行動もあまり得意ではなく、飲み会などで大人数が集まっている場では立ち居振る舞いがわからず、どこか居場所がないような気持ちになります。

旅行などでも、決められたペースで観光しなければならない窮屈さが嫌なので、せかせかしたツアーは苦手。個人旅行やフリープランの方が、手間はあっても気楽です。

 

こんなことから、人に合わせるよりも、自分のペースで動きたい”マイペースな人間”なのではないかと、思ったのです。

 

でも、これは少しだけ自分の実感とは異なりました。ある程度マイペースだとは思うのですが、協調性を重んじる方の人間だと思っていたからです。

 

でも、これも少し考えてなんだか納得できました。

「協調性を大事にしなければならない」という意識はあるものの、根はマイペースなので、「まわりにあわせなきゃ」という意識が働きながらも、どうふるまったらいいかしどろもどろになる…

この繰り返しなのではないか、と。

だから、会社や何かしらのコミュニティで大勢が集まる場にいると、他者と比較して、「自分も〇〇しなきゃ」と考えてしまって疲れるのかもしれない、と。

 

自身のマイペースさを自覚せず、自分をないがしろにしている結果かもしれません。

 

きっと、周囲を気にしないくらい確固とした自分がある人であれば、周囲がどんな状況であったとしても、自分らしいペースで生きていけるのでしょうが、私には少し難しかったみたいです。

 

これからは自分なりのペースで生きていく

東京で暮らしていた時は、無意識に周囲のペースにあわせて生きてきたように思います。

 

そんな私は今、会社を辞めて、青森に移住し、どのようなコミュニティと関わりあっていくのかすらも、0から始めようとしています。

そんな今だからこそ、急行を見送って各駅停車の電車でのんびり移動するように、自分なりのペースを見つけていきたいと思っています。

 

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