私には定期的に話をしたくなる人がいます。
とは言っても、その人と会っているのは1年に1度とか、そんな頻度。普段連絡も取っていないのにどうしてかな、というくらい良いタイミングで連絡がある不思議。
その人は大体いつも私が悩んでいる頃に連絡をくれて、それで1時間とか、そんな短い時間だけ話をしてさっと帰っていきます。
でも、悩んでいる時に話したからといって、”悩みが解決する”ということは決してありません。むしろ、話し終えた後の方がより深く悩んだり考えたりしているかも。
でも、それでいいと思っています。
大事なのは、”その人と話すことで何かが解決する”ということではないからです。
その人と話すことで得られるのは、”自分の中で問うべき問い”に気付くきっかけと、”自分の中を掘り下げる勇気”をもらえることです。
その人と話をする中で得られるもの
自分の中で問うべき問い
悩みの中で一番苦しいのは、「自分が何に悩んでいるのかがわからないこと」だと思います。
私はその人と話す時、自分の中にあるぼんやりとした重たいものを、何とか形にしようと口に出してみます。なんだか伝えたいことと違うことが口をついたりしながら、それでも何となく思っていることを言語化している内に、自分の悩みがぼんやりとした輪郭を持ち始めます。
そうすると、自分の中で曖昧だった悩みが少しだけ目に見えるようになります。
そんな時に適切に、時には思いもよらないような提案で、行動を促してくれるんです。
「自分が次の行動に移るためには自分の中で何をはっきりさせていくべきか」
そんな自分の中曖昧だったものを、「自分が見つめなけれなならない問い」として具現化する手伝いをしてくれます。
といっても、あくまで”問い”を見つけただけなので、その答えを出すためにそこからまた私の苦悩が始まるのですが。
自分の中を掘り下げる勇気
その人は会うたびに、「自分が今、何をしようとしているか」、その夢や情熱を熱く語ってくれます。
そしてその夢や情熱の向かう先に向かって、自分を磨くこと、情報を集めることを厭いません。読書したり、自分の足で情報を得たり、時には試してみたりということを貪欲に行っています。
だからこそ、自分に自信をもって突き進むことができるのだと思います。
その様子を目の当たりにすると、自分も“本当に情熱を注ぎたいこと”に対してまだまだできることがあるのではないか、という気持ちになります。むしろ、「全然足りない!」と。
ただ、その先に進むためには“本当に情熱を注ぎたいこと”から目をそらさず、しっかり認めることが必要です。そしてそれには覚悟が必要なことがあります。私はいつもそれを見つめることをためらって立ち止まってしまいます。
でもそれを認めなければ、”本当に情熱を注ぎたいこと”に向かっていく原動力が鈍ってしまいます。
そんな時、その人と話をすると、
「認めるのが怖いからって立ち止まってていいの?早くこっちに来なよ」
そんな風に招かれているような気がします。
自分の中にある、”認めなくては進めない根底の部分”に触れて、先に進むための勇気がもらえる、というのは本当に何物にも代えがたいことだと感じています。
おわりに
こんな風にすごく短い時間であっても、その人と話すと自分にとっては必要な時間を過ごすことができます。
その人は全然私の先を歩いているけど、
メンターというのはこのような人のことを言うのだろうと思います。
私もいつか、迷っている誰かのメンターのような存在になりたいです。
でもそうなる前に、まずは今、自分の悩みにしっかり向き合って、自分を救っていこうと思っています。
それが第一歩。
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