自由すぎるというストレス

生き方・働き方

会社を辞めて最も変わったのは、「自分が自由に使える時間が増えた」ということです。

今までは平日に1日8時間+αの会社勤めの時間がありましたが、それが無くなり、24時間ずっと自由な状態に。

「なんて素敵な状況!色んな事試しまくれるし、なんだったら今まで頑張ってきた分の休息時間として、たまにはぼんやり1日過ごすのもいいかもなー」

始めはのんきにこんなことを思っていたのですが、実際にはこの状況は自分には少し辛いものだということに気づきました。

ある日、どうしようもない不安に襲われた

「家のことは気にしなくていいから、しばらくは自分がこれから何をしていきたいか、ゆっくり探す時間にしなよ」

「会社を辞めてこれから何をしていくか」ということを考えていた時、夫がこのような温かい言葉をかけてくれました。

これはとてもありがたいことで、今まで会社員時代に稼いだ収入があるとはいえ、2人で生活している以上、「就職なり、クラウドソーシングなりで早く次の稼ぎ口を見つけてほしい」
というのが夫の感じている本音だと思います。一人で家計を支える、というプレッシャーはそれほど大きいと思います。

でも、そこをぐっと飲みこんで、「しばらくは自分のためだけに時間を使っていい」と言ってくれたことで、時間やお金をかけて色々なことに挑戦する猶予を得ることができました。

このブログのテーマでもある、”『やりたいことがわからない人』が『会社を辞めてからやりたいことを見つける』までぐるぐると悩みながら、あれこれやってみる”ということを掲げて挑戦することができたのは、夫の言葉が大きかったと思っています。

しかし、”1日自由”ということは翻せば、”自分で時間の使い方を決める必要がある”ということでした。

初めの内は、移住先を決めるために日本全国あちこちに訪れたり、移住の準備をしたり、移住したら東京から離れてしまうので、その前にできることをと、東京で行われているイベントへの参加や友人に会ったりと、ばたばた過ごしていたので、いうほど自由な時間はとれませんでした。

自由な時間を使えるようになったのは、青森に移住をして、片付けも終わり、ひと段落ついた頃。ようやく1日をまるっと自由に使うことができるようになりました。

自由に使える時間ができたものの、それまでがあまりにも忙しかったので、日々ブログの更新をしつつ、空いた時間はゲームをしたり、漫画を読んだり、ちょっとした夏休みのつもりで息抜きをしていました。

そんなことを繰り返していたある日、突然どうしようもない不安に襲われるようになりました

「夫がいなくなってしまったらどうしよう」

「親がいなくなってしまったらどうしよう」

こんな、考えてもどうしようもないことが頭から離れなくなったのです。元々心配性ではありましたが、それにしてもここまで不安が離れないことは初めてです。

あまりのことに、なぜこんなことになってしまったのか、突き詰めて考えました。すると、こんな結論に至りました。

「どうしようもないことを考えすぎてしまうのは、自由すぎる時間があるからだ」

失うことを過剰に恐れるようになったわけ

「今一人になったらどうしよう」

夫や親の死を必要以上に怖がるのは、突き詰めたら、そういう不安でした。これは、経済的にも精神的にも自立できていない、”依存”の状態になってしまっていた、ということだと思います。

経済的な自立ができていない私

今まで会社員だった頃は、会社に行きさえすればお金がもらえていました(もちろん、ただ出社するだけではだめだけど)。

しかし、フリーになってみて、「ここに存在している」だけでは仕事もお金も発生しないことを実感するようになりました。

そればかりか、住民税、国民年金、国民健康保険といった税金でどんどん貯金が減っていきます。今までお給料から引かれていたのとは違って、通帳を開いて直接お支払いするので、そのインパクトは想像以上でした。

「この家計の完全なるお荷物になってしまった。生きるということは、えらくお金がかかることなのだ」とずっしりとした実感を伴って感じることになったのです。

そして自分の貯金を切り崩しながら、夫の仕事によって支えられている家計のことを思って、
「もし今自分がこの家計を支えなくてはならないとなったら、どうやって支えていくことができるんだろう」という不安に襲われるようになりました。

冷静に考えれば夫は、「君が会社を辞めても夫婦二人が生活できるほどの蓄えと稼ぎがあるからしばらくは心配いらない」と言ってくれていたので、抱えきれないほど過剰な不安を抱える必要は無いのですが、ここで時間があることがマイナスに働いてしまいました。

目的意識が希薄な私

「遊んでリラックスするのはいいけど、きっと今の君にはそれはリラックスになっていないよ」

どうしようもない不安に襲われて、大泣きしてしまった私に対して言った夫の言葉です。

この言葉を聞いて思い返してみると、たしかに、遊んでいる時やぼーっとリラックスの時間をとっている時に過剰な不安は押し寄せてきました。

会社で仕事をしていた時は、忙しかったですが、仕事のことだけを集中して考えることで、変に考えすぎずにすんでいたのだと気が付きました。

不安や恐怖心といったものは、たまによぎることはあっても、別なことを行うことによって、意識の外へ持っていくことができるからです。

同じフリーランスだとしても、例えば、「ライターになって稼ぐんだ!」や「絵を描いて食べれるようになるまで色々チャレンジ続けるぞ!」というはっきりとした目的意識を持ってフリーランスになった人の場合は、自由な時間を有効に使えるので、

「時間が足りない。もっとやりたい!」

という風に感じることで、”死”への恐怖という根底にあるけど、普段はそこまで意識しないものをそこまで意識する余裕がありません。

ところが、

「やりたいことがわからないから見つけなきゃいけないけど、焦りすぎずにのんびり見つけよう」

と考えた私にとっては、自由な時間を持て余して、余計なことを考えすぎるようになってしまいました。

お金も稼げない、やりたいこともわからない私が抱えるストレス

どうしようもない不安の正体を追う内に、”依存状態に陥ってしまったこと”と、”目的意識が希薄だったこと”に気付いた私は、自由な時間を持つことで過剰なストレスを抱えていたことをようやく自覚しました。

「今の私は全く自由な時間を活かせていない。ただ、消費しているだけ」

「自由な時間を無駄遣いしている」

そう気付いてしまってからは、遊んでいてもストレス解消にならないことに気が付きました。むしろ、気分転換になるばかりか、ストレスの発生源とも言える状態になっているからです。

一番のストレス解消は「自分を忙しくすること」。「やるだけのことはやっている」と自分を納得させることで、むやみな不安を感じることなく、ストレス解消につながるようでした。

自由に使っていい時間だからと遊ぶことや休むことに大きく時間を割くのは私には合っていなかったようです。夫の優しさに報いるためにも、これからはもう少し自分を追い込んで、精力的に動いていこうと思います。

おわりに

会社を辞めて、自由な時間ができたとしても、

・経済的にも精神的にも自立ができていない

・自分が向かうべき目的がはっきりしない

という状態では、休んでいても気分転換にはならない事に気が付きました。自分を節制することができない人にとっては、「自由な時間も辛くなることがある」ということを味わった初めての経験でした。

会社を辞めて、自由な時間ができた。それはきっとこれからの人生を考える上でとても大切な時間だと思います。でも、自由に使える時間だからこそ、自分を追い込んで、どんどんチャレンジしていかなくてはつぶれてしまいます。

確固としてやりたいこと、経済的に自立できるような何かはまだ見つかっていませんが、それを見つけるためにあれこれ挑戦してみることが私が今、最もストレスを感じない時間の使い方です。そしてその様子を伝えることこそが、このブログで伝えていきたいことだと思っています。

ブログ運営に挑戦したり、染め物や織り物に挑戦したり、プログラミングに挑戦したり。どんなことに興味をもって挑戦していくかはまだわかりませんが、「自分が何に興味があるかわからない」というぼやっとした自分だからこそ発信できるものがあると信じて、これからも続けていこう、そう思っています。

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